くま日和 ひだまり vol.6 効率を求めない15分。「何もしない」という贅沢な選択
皆さんは「休みの日、何をしていますか?」と聞かれたら、なんと答えるでしょうか。
私自身、これまでの人生で「休む」といえば、大きく分けて二つの選択肢しかありませんでした。 一つは「寝る(身体を休ませる)」。そしてもう一つは「娯楽(ゲームや動画で気分転換する)」です。
しかし最近、そのどちらでもない、第三の選択肢について考えるようになりました。 それが「何もしない」という時間です。
「寝る」か「娯楽」か、その間の空白
疲れたときは泥のように眠る。あるいは、溜まっていた録画を見たり、ゲームに没頭したりする。 それ自体は決して悪いことではありません。私にとっても大切な時間です。
でも、ふと気づいたのです。 「寝る」のは意識がない状態だし、「娯楽」は何かしらの情報を常に脳に流し込み続けている状態だ、ということに。
脳をしっかり休ませるためには、意識がある状態で、かつ情報が入ってこない「空白」の時間が必要なのではないか。そう思うようになりました。
効率の罠と「何もしない」ことへの恐怖
現代社会では、どうしても「効率」を求めてしまいます。 せっかくの休みなら、何か有意義なことをしたい。知識を得たい。あるいは、溜まった家事を片付けたい。
そんな中で「ただ15分間、ぼーっとする」というのは、一見するとひどく非効率で、もったいないことのように感じられます。 正直に言えば、私も最初は「15分あればSNSをチェックできるのに」とか「あの動画を見終われるのに」と、焦りを感じてしまいました。
私が試してみた「15分間の儀式」
そこで、あえてタイマーを15分セットして、次のようなルールで「何もしない」を試してみました。
- スマホは別の部屋に置く: 視界に入るだけで脳が「通知」を待ってしまうからです。
- 目的を捨てて座る: 「リラックスしよう」とすら思わず、ただ椅子に座ります。
- 五感のどれか一つに身を委ねる: お茶の湯気を眺めたり、遠くを通る車の音を聞いたり。
最初は雑念だらけです。「今日の晩御飯どうしよう」とか「あのメール返したっけ」とか。 でも、それを無理に消そうとせず、ただ流れていくのを眺めていると、ふっと頭の中の騒がしさが落ち着く瞬間がやってきます。
「空っぽ」にするから、新しく入る
15分経ってタイマーが鳴ったとき、不思議と「よし、次は何をしようかな」という前向きな意欲が湧いてきました。
これまでは、コップの中に水(情報)がなみなみと入った状態で、さらに新しい水を注ごうとしていたようなものです。 「何もしない」時間は、そのコップを一度空にする作業。 空っぽになるからこそ、次にやりたいことが自然と流れ込んでくるスペースができるのだと感じました。
「寝る」でも「遊ぶ」でもない、積極的な「何もしない」。 もし皆さんも「休んでいるはずなのに、なんだか頭が重いな」と感じたら、ぜひ15分だけ、自分を「空っぽ」にする贅沢を味わってみてください。
今回のひだまりポイント: 「休む」の選択肢に「何もしない」を加えてみる。15分の空白が、心の余白を作ります。
次に読むなら: vol.5 スマホの通知に振り回されない共存術
